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坂井時忠音楽賞  −受賞者紹介−






高田 泰治(たかだ・たいじ)さん(鍵盤奏者)

「坂井時忠音楽賞」 受賞者決定



高田 泰治(たかだ・たいじ)さん(鍵盤奏者)に

 兵庫県芸術文化協会では、県域において優れた音楽活動を行い、将来の活躍が期待される新進の音楽家を奨励するため「坂井時忠音楽賞」を贈呈しています。

 この賞は、故・坂井時忠元兵庫県知事(当協会元会長)の音楽に寄せられた心を普及させ、音楽活動の推進と芸術文化の振興に寄与することを目的として、平成3年度に創設されました。本年度は、鍵盤奏者の高田泰治さんが選ばれました。


【受賞者のプロフィール】
高田泰治さん鍵盤奏者*チェンバロ、フォルテピアノ(神戸市)=大阪音楽大学音楽学部器楽科を卒業。
2003年9月23日、神戸新聞松方ホールにて、テレマン室内オーケストラとともにピアノ、フォルテピアノ、チェンバロのそれぞれの協奏曲を一夜で演奏するという、日本人初の試みで楽界にデビュー。
11年、ドイツのバッハ研究所「バッハ・アルヒーフ」から日本人の鍵盤奏者として初めて招聘され、定期演奏会に出演。また、ドイツのバロックバイオリンの権威「ウッラ・ブンディース」から共演の依頼を受け、12年から演奏活動を開始。

【選考委員講評】
 高田氏は、ドイツ系正統派古楽の本流を歩む演奏家として、品格のある演奏で多くの聴衆を魅了してこられました。
チェンバロに加えてフォルテピアノの奏者としても、これからのバロック音楽を担う新しい世代の代表格として活躍が期待されます。

鍵盤奏者 高田 泰治(たかた・たいじ)さん

日・独を拠点に励む古楽(こがく)修練


大阪音楽大学大学院器楽科卒。
03年テレマン室内オーケストラとピアノ、フォルテピアノ、チェンバロのそれぞれの協奏曲を一夜で演奏しデビュー。
今年からドイツのバロックバイオリンの権威、ウッラ・ブンディース女史の依頼で共演活動を開始。
神戸市在住、
34歳。


 今後のバロック音楽を担う新進気鋭の演奏家。
 6年前から毎年、1年の半分はドイツで生活、日本とドイツを拠点にドイツ系正統派古楽の修練に励んでいます。

 演奏する鍵盤楽器はチェンバロとフォルテピアノ。
 どちらも見た目は現在のグランドピアノに似ていますが、チェンバロは弦を鳥の羽軸などで弾いて音を出し、フォルテピアノは小さなハンマーで弦を叩いて音を出します。
 温度や湿度で調子が変わるなどデリケートな楽器。
 2012年3月24日に開かれた「坂井時忠生誕00年記念コンサート」。
 高田さんはチェンバロでバッハのイタリア協奏曲を演奏。
 透明感のある繊細な音色に大きな拍手が送られました。

 7歳からピアノ演奏一筋でした。
 でも02年ごろ、チェロ奏者の上塚(かみづか)憲一氏(02年坂井時忠音楽賞受賞者)から「ベートーヴェンが作曲した当時の楽器、フォルテピアノで伴奏して欲しい」と頼まれたのがきっかけで古楽の勉強を始めました。

 「依頼は本番2、3週間前。
 演奏経験はなく手さぐり状態で猛練習。
 演奏するうち、ピアノとは違う美しい音色、その音色のとけ合い方の妙に興味を覚えました。
 一台、一台異なる個性をもち、自ら語りかけてくる個性ある楽器にも魅力を感じたのです」。
 チェンバロはチェンバリストの中野振一郎氏に勧められ取り組みました。

 最も印象深いのは昨年、ドイツにあるバッハ研究所「バッハ・アルヒーフ」から日本人として初めて同研究所主催の定期演奏会に招待され、バッハの小品をソロ演奏したこと。
 「夢のような話。力の限り弾きました。聴衆から『すごく良かった。今後を楽しみにしているよ』などと励まされ、感動しました」。
 バロック音楽などへの思いについては「自由さを感じます。特にバッハは音楽に誠実、ハーモニーも完璧(かんぺき)ですが、暖かさとともに奏者を楽しくさせるところもいっぱいあり魅力的で好きです」。

 物静かな好青年。「努力家。真摯(しんし)な演奏スタイル。将来が楽しみ」と高田さんが所属する日本テレマン協会の延原武春音楽監督。モーツアルトのピアノ協奏曲全20数曲をテレマン室内オーケストラとともに当時の楽器を使い演奏し続けている他、最近のコンサートでは古楽器の仕組みなどを話したり、ワークショップの試みも。

 「今後も新しいことに挑戦していきたい」。

up date 2012/4/28




「坂井時忠音楽賞」 受賞者

岡田 將(まさる)さん(ピアノ奏者)に

 兵庫県芸術文化協会では、県域において優れた音楽活動を行い、将来の活躍が期待される新進の音楽家を奨励するため「坂井時忠音楽賞」を贈呈しています。

 この賞は、故・坂井時忠知事(当協会元会長)の音楽に寄せられた心を普及させ、音楽活動の推進と芸術文化の振興に寄与することを目的として、平成3年度に創設されました。
 22年度は、ピアノ奏者の岡田將さんが選ばれました。

【選考委員講評】
 岡田さんは、確かな技巧と美しい音色を持つピアニストとして、多くの聴衆を魅了してこられました。従来のイメージにとらわれない自在な表現力を発揮し県下のリサイタルなどで着実な歩みを遂げられ、これからの更なる飛躍が感じさせられます。


坂井時忠音楽賞受賞者

ピアニスト 岡田 将(おかだ・まさる)さん

1988年全日本学生音楽コンクール全国大会中学校の部第1位。
桐朋女子高在学中の92年、第61回日本音楽コンクール第1位、併せて野村賞、E・ナカミチ賞を受賞。97年アルトゥール・シェナーベルコンクール(ドイツ)第1位およびスタインウェイ賞を受賞、99年第5回リスト国際ピアノコンクール(オランダ)第1位、01年第11回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール(アメリカ)奨励賞受賞、02年出光音楽賞受賞、03年第29回日本ショパン協会賞受賞。
04年にリストの作品のみを収録したデビューCD「岡田将プレイズ・リスト」をリリース。
05年にはドイツ・バイロイトでリストと20世紀音楽を中心としたプログラムのソロリサイタルを行い好評を博す。
これまでに故岩城宏之氏ほかの指揮者、著名なオーケストラとの共演多数。36歳。


呼吸吹き込み生きた音楽を

 福岡県出身。
桐朋女子高校音楽科(男女共学)を卒業後、欧州に14年間音楽留学し研さん。
07年に帰国。
西宮市に住み、神戸女学院大学専任講師として後進の指導にあたる傍ら、県内外で精力的に演奏活動を続けています。

 ピアノへの興味の始まりはテレビで「ピアノのおけいこ」を見た3歳のころ。小学1年生から正式に習い始め、5年生の夏「ラジオで聞いたショパンの『ノクターン』に感動しました。でも小学生のころは外で遊ぶことが大好きで放課後も遊んでなんとか遅く帰宅しようと思っていましたね」。
 留学先はクラシック音楽の本場、オーストリアの国立ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院とドイツのベルリン芸術大学。「ドイツ音楽が好きだったことや高校時代に夏季講習に出向いた縁などで決めました。ドイツ語の習得、海外での下宿生活…」。戸惑いやスランプもありましたが、『やるだけやってみたら』という両親らの励ましもあって何とか楽しく暮らし、学びました。
 転機はベルリン大学で、今も尊敬する恩師と巡り会ったこと。エレーナ・ラピツカヤさんです。女性のピアノ演奏家。音楽に対する取り組みが真面目で、どんな疑問にも分かりやすく答えてくれました。
 たとえば、それまで練習は面白くなく何のためにするのか理解できなかったため、練習の意味を尋ねたところ、こう説明されました『音楽では演奏後に音は消えてしまいます。でも、楽譜に書かれた音には形があり、音符通りに弾くのではなく音を形づくる作業が必要。そのために練習するのです』。
 また、エレーナさんの演奏を聴いた途端、「衝撃を受けました。これまで聞いたことのない音色。ピアノが言葉をしゃべっているようでした」
 エレーナさんに学び始めて4年後の1999年、リスト国際ピアノコンクール(オランダ)で、日本人で初めて第1位に。
 「うまくなり始めたことを実感するとともに、これからが大変だなぁ、と思いました」
 エレーナさんとの師弟関係は約8年半続き、その間、欧州諸国などでソロリサイタルを開催、各オーケストラと共演するなど幅広く活躍し成功を収めました。

 「人づてですが、エレーナさんが『公の場で演奏しても恥ずかしくない人だ』と言ってくださった、と聞き感激しました。帰国後、指導者になることも喜んでくださいました」

 演奏する際、心がけているのは「自分自身が楽しんで演奏すること。音楽は生き物だと思うんですよ。演奏家が呼吸を吹き込んで、やっと生きた音楽が生まれる。演奏会を料理にたとえると、旬の食材を使って出来立てをお客様に食べていただくような感じです。また、何も知らない方が演奏を聴いて『いいなぁ』と感じ取ってもらえれば…と願っています」。
 1曲の演奏時間は約20〜40分とあって、集中力はもちろん、スタミナが必要。
 「演奏後に体重が1〜2`減ることもあります。だから本番前日にはお肉を食べますし、本番前もがっつり食べます。
 食事をしていないと弾けません」

 練習は本番前には1日5、6時間にも。「ピアノは自分の中の一部ですが、今でも練習が嫌いになることはあります。その際は少し休んで、ピアノや音楽から距離を置くようにしています。すると時間がたつにつれ何かもの足りなさを感じて、またピアノに戻る。その繰り返しです」。

 西宮市に住み、活動を始めて4年での受賞。
 「光栄な賞をいただき、うれしいです。心新たに再スタートです。
 今後は兵庫県内での演奏・文化活動を積極的に行い、兵庫が第3の故郷と呼べるよう努めます」。
 趣味は家族と出かけての風景写真の撮影。

 2011年はフランツ・リスト生誕200年。
 それを記念し6月24日、9月30日、11月23日(水・祝)の3回シリーズで「岡田将のリスト」と題したコンサートを神戸市中央区の神戸新聞松方ホールで開催します。

 岡田さんの企画で、初回は一度は耳にしたことのある名曲を、2回目はリストの円熟期の大作など、3回目は大阪センチュリー交響楽団との共演でピアノ協奏曲第1・2番を中心に演奏する予定です。

 「ぜひ足を運んでいただき、私の新鮮な料理を味わってください」。
 コンサートの問い合わせは同ホール(078・2・7191)へ。

up date 2011/4/29






「坂井時忠音楽賞」 受賞者決定

  木村 優一さん(和太鼓奏者)と

  高石 香さん(ピアノ奏者)に



 21年度は、和太鼓奏者の木村優一さんと、ピアノ奏者の高石香さんが選ばれました。



【選考委員講評】
 木村さんは、和太鼓のソロコンサートで多くの聴衆の心を打つ高い技術と表現力を持ち、さらに他のジャンルとの融合を試みるなど今後の活躍が期待できます。

 高石さんは、海外での素晴らしい成績を残した後、国内でのリサイタルで活躍。明るくのびやかな感性は、独自な個性の輝きを感じさせ、今後の活躍が期待できます。





【受賞者のプロフィール】
木村 優一さん和太鼓奏者(神戸市)
1976年神戸市生まれ。
高校在学中に松村公彦氏と出会い太鼓をはじめる。
阪神・淡路大震災の時には避難所や仮設住宅等で激励演奏などを行い、卒業後は時勝矢一路氏率いるグループにて3ヶ月半のヨーロッパツアーに参加。
オランダをはじめとする国々で約60回の公演に出演する。
帰国後、和太鼓松村組の発足に参加。
各地でイベント等に出演。
96年より林英哲氏プロデュースによる「英哲風雲の会」にも参加。
97年には再び時勝矢氏の半年間に及ぶヨーロッパ公演に参加し、約120回の公演に出演。
99年からは林英哲氏の全国ツアーにサポートメンバーとして出演。
現在は和太鼓松村組の中核メンバーとして、コンサートの構成・演出、作曲も手掛けている。また、ソロ活動においてはジャズやクラシック、和楽器との共演も多数行うほか、独自の世界を表現したコンサートも展開し、和太鼓の潜在的魅力を最大限に引き出せるアーティストとして高い評価を得ている。
平成15年度兵庫県芸術奨励賞を和太鼓松村組で受賞。

「太鼓は木村」目指し精進

神戸西高校在学中に太鼓を始める。
卒業後は時勝矢一路氏率いるグループの一員として、3か月半のヨーロッパツアーに参加。
オランダなどで、約60回公演。帰国後、和太鼓松村組の発足に参加。
96年から林英哲氏プロデュースによる「英哲風雲の会」にも加わる。
97年には時勝矢氏と再びヨーロッパ公演、半年間で約120回の公演に出演。
99年からは林氏の全国ツアーに出演。
ソロ活動では、ジャズやクラシック、和楽器との共演も多数行うほか、独自の世界を表現したコンサートも展開し、和太鼓の潜在的魅力を最大限に引き出させるアーティストとしても高い評価を得ている。
05年、震災10年和太鼓チャリティーコンサートでは、テーマ「大地」を作曲・プロデュースし、参加した多くの奏者への指導を行い、現在指導チームは全国に及んでいる。
映画やテレビ出演も経験。
平成15年度兵庫県芸術奨励賞を和太鼓松村組で受賞。
神戸市垂水区在住。
33歳。(2010年現在)


 和太鼓のあるところ、この人あり。
「和太鼓松村組」の中核メンバーとして、1995年の創設から活動。現在、演奏・作曲をはじめ、構成・演出を担当、舞台づくりでも高い評価を受けています。
 祭りのイメージが強く認知度はいまひとつの和太鼓。音楽として洗練された演奏を聴きたい
 3月初め、神戸市内の本山南中学校で開かれた松村組の学校公演を鑑賞しました。
 舞台中央奥に直径約1bの大太鼓、その周りにマリンバ、宮太鼓、桶胴太鼓、締太鼓を配置。
木村さん作曲の「乱馬」などを演奏。
 「ハァッ」「ヤァッ」…。
気合のこもった掛け声に合わせ、勇壮に乱打、ときには軽快に打ち鳴らされる太鼓。
音色がビリビリと体に伝わり、その迫力に静まる体育館内。
やがてマリンバ、南米の縦笛が融合し、紡ぎ出されるラテン調のサウンドに引き込まれました。
 木村さんの和太鼓との出会いは、神戸西高校3年の春。
同校の音楽担当教諭で、現在は松村組代表の松村公彦さんがつくった「和太鼓同好会」への入会でした。
同好会には太鼓はなく、タイヤをバチで打つなどで練習。
秋の文化祭で、時勝矢氏作曲の「刻」を演奏したところ、割れんばかりの大拍手をもらったのです。
 「音楽のオも知らず、音楽の評価は2。友人に誘われ軽い気持ちで始めたのに…。拍手に快感を覚え、太鼓の楽しさを知ったのです」
 翌年1月17日、阪神・淡路大震災。被災者を励まそう、と避難所のひとつ、板宿小学校の校庭で演奏しました。
 「太鼓を運び入れた時です。
『太鼓の音で地震を思い出す』とブーイングがありました。
でも打ち続けるうちに『ありがとう。
あんたらもがんばりや』と逆に励まされたのです。
今もあのシーンは忘れられません」
 高校卒業後、専門学校を休学し、2度のヨーロッパ演奏ツアーに。
2度目はプロ奏者として生きていこうと決めての参加でした。
 どこの国でも和太鼓はジャパニーズドラムと呼ばれ好評。
日本人の聴衆からは「今日ほど日本人であることを誇りに思ったことはありません」とうれしい言葉がかけられました。
 帰国後、和太鼓演奏の第一人者、林英哲氏に誘われ、コンサートツアーに参加したところ、プロの厳しさを思い知らされました。太鼓はバチで打つシンプルな楽器ですが、バチの角度、力のいれ加減で音質、音量が変わるなど扱いが難しいのです。
 「私はプロを目指しながら、音量の大小しか捉えていなかったのです。
 たんにドンではなく、曲の情景を理解し、遠くから響いてくるような深みのある音を出せと言われたのですが…。演奏技術、衣装、舞台に関し何ひとつ出来ていなかったことに気付かされました。
 伸びきった鼻を根元からボキボキ折られました。
 向いてないのでは?と悩みました。
 次の本番までに反復練習を繰り返し、体に覚え込ませるしかありませんでした」
 演奏はエネルギッシュ。
 強く張った牛皮の反動を全身で抑えるため、両足を大きく広げて踏ん張り、全身でムチをしならせるように打ち下ろします。
 約2時間の演奏会では、とんでもない量の汗をかき、2`も体重が減ります。
 下半身を鍛えるため、ランニングなどのトレーニングは欠かせません。
 楽譜はありますが、指揮者はいません。
 練習を積み重ね呼吸で合わせます。
 努力家。
 楽譜を購入し曲と照らしあわせて研究するほか、独学で作曲も行うように。
 4年前からはクラシックなど他ジャンルとの融合を積極的に展開しています。
 「和太鼓の魅力をもっと知ってほしいからです。
 太鼓の音色からは深い海、母の愛を感じます。
 演奏技術をさらに高め、太鼓と言えば木村だ、と言われる奏者を目指すとともに、世界各地の由緒ある舞台に立ちたいです」
 夢の実現に向かって精進が続きます。
 
 問い合わせは、エス・ピー・エース(06・6204・0412)。





◇高石香さんピアノ奏者(神戸市)
神戸市生まれ。
兵庫県立西宮高等学校音楽科を経て、東京藝術大学音楽学部器楽科卒業、同大学大学院音楽研究科修了。
2007年イタリア・スコントリーノ音楽院修士課程修了。
第14回兵庫県独奏独唱コンクール第1位。
第14回吹田音楽コンクール第1位。
第3回神戸新人音楽賞コンクール最優秀賞受賞。
第8回ジャン・フランセ国際ピアノコンクール(フランス)第2位(最高位)。第3回フランツ・リスト国際ピアノコンクール(イタリア)第2位(最高位)、併せて聴衆賞受賞。
第13回ジャンルーカ・カンポキアーロ国際音楽コンクール(イタリア)第1位・グランプリ。
第12回ベネデット・アルバネーゼ音楽コンクール(イタリア)第1位、併せて芸術賞・ショパン賞・コンサート賞を受賞。
イタリア・トラーパニ市、コッレッジョ教会にてリサイタル開催。
日本演奏連盟主催、大阪・いずみホールにてピアノリサイタル開催。
宝塚市文化振興財団主催、宝塚ベガ・ホールにてピアノリサイタル開催。
公式ホームページhttp://www.eonet.ne.jp/~pianista-kaori/index.html


名器で個性的演奏に磨き


県立西宮高校音楽科卒。東京藝大大学院修了。
94年度、コシノ・ジュンコのファッションショーの演奏を担当、国土交通省主催「Visit Japan」プログラムに参加。
仏・独の日本大使館公邸で演奏。大阪センチュリー交響楽団、Mihail Jora交響楽団とピアノコンチェルトを共演。
数々の国際コンクールで好成績を残す。
第20回マルサラ市国際ピアノコンクールをはじめ、第8回ジャン・フランセ国際ピアノコンクール(仏)2位(最高位)、第3回フランツ・リスト国際ピアノコンクール(伊)2位(最高位)、併せて聴衆賞受賞、第13回ジャンルーカ・カンポキアーロ国際音楽コンクール(伊)1位・グランプリ、第12回ベネデット・アルバネーゼ音楽コンクール(伊)1位、併せて芸術賞、ショパン賞、コンサート賞受賞など。
真摯な姿勢で音楽活動に取り組んでいる。
ヤマハマスタークラス講師。
垂水区在住。



 ことしになって大きな「喜び」が続きました。

一つは同音楽賞の受賞。
平成22年3月26日の授賞式。
講評を聞くうち素直に感動しました。
その内容は「明るくのびやかな感性は、独自な個性の輝きを感じさせ、今後の活躍が期待できます」。

 「苦しみながらも自分のスタイルを探し続けてきたことを認めてくださったのです。信じる道を歩んできてよかった。感謝の言葉を述べるさい、泣きそうになりました」

 もう一つは、ピアニストの夢、ハンブルク製の名だたるグランドピアノ「スタインウェイ」のB型を手に入れたこと。名前もつけました。「ベリタ」。イタリア語で「真実」という意味。「私の真実を語る」の願いを込めました。
 愛犬トイプードルの「フェリーチェ」(イタリア語で「幸せ」)の2歳の誕生日の4月9日に届けてもらいました。

名器は自宅1階のレッスン室にちん座。
 「深い音質がスバラシイ。
一生のうちでいつか買いたいと思っていました。
こんな高額な買い物は初めて。でも自分へのご褒美ではありません。冒険好きで、自分に終われない課題とローンを返しながらがんばっていくようにとプレッシャーを与えたのです」

 ユーモアを交え、目をそらさず関西弁でリズムよく話す。
笑顔がとっても魅力的。
性格は「パッと見、明るい。
個性的で負けん気が強い。
半面、一人になると物事を深く考え込んでしまうのです」

 ピアノとの出会いは4歳。
兄のエレクトーン教室に同行したのがきっかけ。
「ピアノで自立できる子に」という母親の強い教育方針と援助もあって実力をつけ、東京藝大音楽学部器楽科に入学。
 同大学・大学院時代は非常に苦しかった、と言います。
東京での生活環境や言葉の違いにより自分らしさが出せず悩み続ける日々。
ひたすら耐え忍び大学院試験までの約2か月間、1日10時間も下宿でピアノに向かうなど猛練習し合格。
 しかし、院での生徒の自主性に任せる指導方針に戸惑い無気力、引きこもり状態に。1年間、レッスンに通えませんでした。
気持を切り替えようと米国で開かれた講習会に参加したところ、先生の一言で深く傷つきました。
 「自分ではうまいと思っているかも知れないが、君の演奏は何の表現も出来ていないと公開レッスンの場で言われたのです。腹が立つとともにやる気がなくなりました。でも自分に負けるのはイヤ。全身全霊で弾こうと思い直しました」

 気力もわき、転機が訪れたのは、大学院3年の12月に出場した第14回吹田音楽コンクール。演奏曲はリストの「葬送」。本選直前の10月、父親の郷さんが57歳の若さで病死。「父への葬送曲になるなんて…魂をぶつけて弾きました。自分の殻を破った演奏で、一生忘れられません」。
結果は1位でした。

 大学院修了後、南イタリア・シチリアに拠点を移しました。
シチリアは自然に恵まれ、「チャオ」「カオーリ」と陽気に声をかけるなどあったかい人柄、おいしい食べ物が豊富。
「人格が変わるぐらいプラス思考に。生きている感覚が実感でき、たまりませんでした」
 音楽院で学び、数々の国際コンクールに挑戦。
予選から本選までの日程調整から往復切符、ホテルの手配などを一人でこなしたうえ、舞台で真剣勝負の演奏。多くのエネルギーと強い精神力が必要でした。
 最も印象深いのは、初めて挑戦した第20回マルサラ市国際ピアノコンクール。「上位入賞できなかったらピアノをやめよう」と決意。


一音たりとも魂のこもらない音は出さない、と死ぬ気で臨みました。2位。併せて聴衆賞を受賞し、演奏家の道を歩むことにしたのです。
 「芸術家に大切なのは豊かなイメージ力、表現力。
やる気がある者しか生き残れないのです。
自分が正しいと信じることをやるのみです」


 3年前に帰国。
国内のリサイタルなどで活躍、地域での文化事業の活性化にも積極的に参加。
自宅などで十数人の生徒を指導。
「自分で考え表現することが大事。
音楽を通して人生を豊かにと教えています」
 趣味は海に近く人があたたかいシチリアによく似た塩屋かいわいの散歩。町の人や文化にふれ幸せを感じます。
次の演奏会は平成2211月6日。舞子ビラで予定。

独身。
「だんな様を募集中。家事をしてくれる人がいいですね」。

大笑いしながら話しました。
もちろんジョークでしょう

up date 2010/5/31




坂井時忠音楽賞受賞者決定

    南部靖佳さん(フルート奏者)が受賞


 20年度の受賞者は、フルート奏者の南部靖佳さんに決定しました。



【選考委員講評】
南部靖佳さんは、安定した技巧を持ち、美しく個性ある音色感で、巧みな表現力が溢れる溌剌とした演奏は、聴く人の心を打ちます。

 また、その伸びやかな感性は、大きな将来性が期待できます。



【受賞者のプロフィール】
南部靖佳さん(フルート奏者)神戸市
東京生まれ。
9歳の時に渡米。
ジュリアード・プレ・カレッジを経てシンシナチ音楽大学を二年で首席卒業、同大学院で指揮法を学び修士号を取得。
その後ハノーバー芸術大学にてエアドムーテ・ベア女史に師事し、首席でディプロマを取得しました。
 高校時代、ニューヨーク・ユース・シンフォニー首席奏者として定期的にカーネギーホールで演奏。
その他、短期オーケストラの首席奏者、ピッコロ奏者としてベルリン国立劇場やバイロイト国立劇場などでも演奏。
2003年に世界青少年オーケストラ・アカデミー(バイエルン)、2004年にはバロック・オーケストラ・アルコ(ハノーバー)と共演しました。
2007年3月に大阪フィルハーモニー交響楽団(円光寺雅彦指揮)、11月にサントリーホールにて日本フィルハーモニー交響楽団(西本智実指揮)と共演。
2007年5月に日本演奏連盟主催いずみホールにてソロ・リサイタルを開催し、平成19年度大阪文化祭賞奨励賞を受賞。
第13回(2008年)びわ湖国際フルートコンクール第二位入賞、併せてオーディエンス賞、武者小路千家賞受賞。
NHKテレビ「ぐるっと関西プラス」に出演。
また、第2回神戸新人音楽賞最優秀賞、全米フルート協会コンクール入賞を含め数々の全米、全日本のコンクールで入賞しました。
 活動は幅広く、フィギュアスケート選手高橋大輔・織田信成との共演、Junko Koshino アトリエコンサート、神戸ファッションウィークにてファッションショーの生伴奏、豪華客船「飛鳥U」での演奏、クロスオーバー・ソプラノ雨谷麻世とインド・ポップスの共演など全国で活躍。
現在は神戸に住み、神戸港就航のミュージック・グルメ船コンチェルトを基盤に世界の舞台で活躍中。
ラジオ関西「街と暮らしとミュージック」レギュラー出演。
ドルチェ・ミュージック・アカデミー講師。
神戸音楽家協会、神戸クラシック協会各会員。


フルートの新しい世界にチャレンジ

ジュリアード・プレ・カレッジを経てシンシナチ音楽大学を2年で首席卒業、同大学院で指揮を専攻し修士号を取得。ハノーバー国立芸術大学より首席でディプロマ取得。
第13回びわ湖国際フルートコンクール第2位、併せてオーディエンス賞、武者小路千家賞受賞。
平成19年度大阪文化祭賞奨励賞、第2回神戸新人音楽賞コンクール最優秀賞受賞。
日本フィルハーモニー交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団などと共演。
NHKテレビ「ぐるっと関西プラス」、NHK-FM「名曲リサイタル」に出演。
スケート選手高橋大輔、織田信成とのコラボレーションなど活動は幅広い。
ラジオ関西「街と暮らしとミュージック」パーソナリティ。
公式ホームページ: www.yasuka-nambu.com

 聡明そうな眼差しと、可憐な笑顔が印象的な南部靖佳さんは、幼少期から20年近く外国で暮らしていたとは信じられないほど、美しい日本語で話します。
しっとりと落ち着いた声と言葉は、今やほとんど見かけなくなった、古き良き時代の毅然とした日本女性の言葉使いを彷彿とさせます。
「友達と流行の言葉で会話をする十代の頃に日本にいなかったせいか、今でもそういう言葉を知らないのです。流行の言葉が使えなくても、今のところ不自由していないので、これでいいかなと思っています」
 靖佳さんは、9歳のときに父親の仕事の都合で渡米。
ニューヨーク郊外の現地の小学校に編入しました。
「四年生のときに、フルートを吹きたいという友達に誘われて、吹奏楽のクラブ活動に参加したのが、フルートに関わるきっかけでした。
それまで、フルートがどんな楽器かも知りませんでした。
日本でリコーダーを習っていたので指使いは、すぐにできたのですが、フルートの音が出るまでには何か月もかかりました。
私は、小さな頃から音楽を聴くのが好きでした。そして楽譜を見たら、テクニックもないのに、自分が演奏する音がどこからか聞こえてくるような気がしていました。
フルートの音が出るようになると、だんだんおもしろくなり、中学校でも吹奏楽部に入って練習していました」
 しかし、その頃の靖佳さんには、フルートよりも、もっと夢中になっていたものがありました。
「バレエです。フルートが週一回一時間の練習だとすると、バレエは週5回の毎回2時間ぐらいレッスンをしていました。

将来はバレリーナになりたいと思っていました」

 しかし、バレエの練習をしながら気になることが出てきました。
「バレエの伴奏音楽と振り付けが、しっくりこないときがあるのです。
音楽が気になってしまって、バレエに集中できないこともありました」
 高校入学後も吹奏楽部に入り、フルートの個人レッスンを受けるかたわら、校内のジャズバンドでサックス、マーチングバンドでフルートやピッコロ、大きな音に憧れてトロンボーンなど、様々な楽器に挑戦した靖佳さんは、音楽の楽しさを満喫。バレエからは遠ざかっていきました。
 成績優秀だった靖佳さんは高校生のときに、大学で必要な単位の多くをすでに習得していたので、進学したシンシナチ音楽大学では、四年間のところをなんと2年で卒業。
「音楽を続けるなら、音楽全体がわかる指揮を勉強した方が良いとアドバイスを受け、その後大学院では指揮法を学び修士号を取りました」
 大学院卒業後はドイツのハノーバー芸術大学に留学しました。
「この大学でエアドムーテ・ベア先生という、良き指導者とめぐり会うことができました。
このとき初めて本当にフルートが好きになり、フルート奏者になろうと決心しました。
ベア先生はそのときの私に必要だったことを、私に合った方法で教えてくださいました。
フルートを使って、何を表現したいのか、それにはどんなテクニックを用いるのか。
師と生徒には相性がありますね。
ベア先生との出会いは、私にとって音楽を見つめなおすきっかけとなりました」
 2005年、靖佳さんは日本・神戸に帰国。
「神戸港就航のミュージック・グルメ船コンチェルトなどでの演奏を皮切りに、いろいろなところで演奏活動をするようになりました。
大阪フィルハーモニー交響楽団や日本フィルハーモニー交響楽団との共演や、ソロ・リサイタルなども開催しました。
私はフルートはもっといろいろな表現ができる楽器だと思っています。
他の楽器の曲をフルートで演奏するとか、フルート特有の優しい音色だけではなく激しい音色も作ってみたいと思っています」
 フルートの可能性を求める靖佳さんの活動範囲は幅広く、フィギュアスケートの高橋大輔・織田信成選手との共演や、ラジオ番組のレギュラー出演など多岐にわたります。
 さて、物静かなたたずまいの靖佳さんの趣味はちょっと意外なものです。「自転車に乗って遠出をすることです。
最低でも月に1回。
時間があればもっと行きたいですね。
関西だと淡路島に行くことが多いです。1日で島の3分の2ぐらいまわりますよ」

up date 2009/5/29




「坂井時忠音楽賞」は、音楽を愛した前々知事にちなみ、平成3年度に創設された賞で、


平成19年度

坂井時忠音楽賞受賞者決定

オペラに歌曲に優れた歌唱力で精力的にステージ活動
石橋栄実さん(ソプラノ歌手)と

高い演奏技術と華麗なテクニックで多くのファンを魅了
菊本和昭さん(トランペット奏者)に



 19年度の受賞者は、ソプラノ歌手の石橋栄実さんと、トランペット奏者の菊本和昭さんに決定しました。




【受賞者のプロフィール】

◇石橋 栄実さんルソプラノ歌手(愛知県)
大阪音楽大学音楽学部専攻科声楽専攻修了。
平成10年「ヘンゼルとグレーテル」のグレーテル役でオペラデビュー以来、多数のオペラに出演するほか、ソリストとしても精力的に活動し、兵庫県のほか関西地方を中心に幅広く音楽活動を展開しています。
オペラに歌曲に優れた歌唱力で安定したステージを繰り広げ、観客に深い感銘を与えています。
大阪音楽大学、大阪府立夕陽丘高校の非常勤講師として勤務し、後進の指導にも力を注いでいます。
平成12年度大阪府舞台芸術奨励新人、
平成18年度音楽クリティック・クラブ奨励賞、
同年度大阪舞台芸術奨励賞受賞。


坂井時忠音楽賞受賞
石橋 栄実 さん(ソプラノ歌手)

母となってオペラ復帰第一作に意欲

東大阪市生まれ。大阪府立夕陽丘高校卒業後、大阪音楽大学卒業。同専攻科修了。
98年「ヘンゼルとグレーテル」グレーテル役でオペラ初舞台。その好演によりドイツ・ケムニッツ歌劇場にグレーテル役として招かれ同時に独デビュー。
その後、新国立劇場、ザ・カレッジ・オペラハウス、兵庫県立芸術文化センター他において多数のオペラに出演の他、宗教曲のソリストとしても活躍。
NHK名曲リサイタル出演や、チャリティーコンサートへの参加等幅広く活動している。
平成12年度大阪府舞台芸術奨励新人。平成17年度大阪舞台芸術奨励賞、音楽クリティッククラブ奨励賞受賞。
矢野蓉子氏に師事。大阪音楽大学講師。
名古屋市在住。
34歳。


 ソプラノ歌手で、母校大阪音楽大学の講師でもある石橋栄実さんは、童顔でまだ大学生と言っても通るほどの溌剌とした笑顔の持ち主。
しかし一歳になる長男琳太朗君のお母さんでもあります。
「子どもが生まれて、時間の余裕は確かになくなりました。
でも気持ちの余裕が生まれ、心も体も強くなった気がします。
実は、去年まで毎年ひどい花粉症に悩まされていたんです。
本番の多いときは本当に困っていました。
ところが出産後は体質が変化したのか、症状が軽くなって、とても喜んでいます」
 誕生したとたんに親孝行をした琳太朗くんは、お母さんが、あやしながら即興で歌ってくれる「おうた」が大好き。
アーアーと一緒に歌い出すそうです。
 ところで、琳太朗くんのお父さんは惑星科学を研究する学者さんだとか。
「家のなかには音符か、数式が書かれた紙がいっぱい混在しているんですよ。
音楽家と科学者というとずいぶん畑違いのようですが、何かに向かってこつこつ努力を積み重ねて成果を出すという点では、似ているかもしれません」
 音楽家か科学者か、琳太朗君の将来が楽しみですが、栄実さん自身はどんな少女時代を過ごしたのでしょうか。
「娘にピアノを弾いてもらいたいという母の夢で、3歳から音楽教室に通いました。
小学生になると、何となく自分は音楽をずっとやっていくのだろうなぁと思っていました。
中学校では合唱部に入りました。ここで初めて歌うこととの出合いがあったと言えます。
合唱が盛んな学校で、部長を務めた3年生のときには、西日本大会で1位になりました。
このときの感動は本当に大きかったですね。

高校では合唱部に入りませんでしたが、年に3回学内演奏会があり、1人で観衆の前で歌うことを経験して、歌の道に進みたいと感じるようになりました。
音楽の先生から大阪音楽大学の矢野蓉子先生を紹介していただき、音大受験のための声楽の勉強を始めました。
ちなみに私にとっての先生は、そのときからずっと矢野先生お1人だけなんですよ」

 大阪音楽大学声楽科を卒業後は専攻科に進学。
専攻科在籍中に、学内オペラで初めて舞台に立ちました。
「モーツァルトの『コジ・ファン・トゥッテ』のデスピーナという小間使いの役でした。
 自分ではない人間を演じる快感を覚えて、オペラのとりこになりました」
 専攻科を修了して1年後、栄実さんは堺シティオペラで開催される「ヘンゼルとグレーテル」のオーディションを受けました。
「卒業後まもないので自信はありませんでしたが、子どもの役ですし、若い自分が挑戦してもいいんじゃないかなと思い受けました。
幸運にも合格し、魔女役のバリトンの方とグレーテル役の私は、ドイツのケムニッツ市立歌劇場のクリスマス公演にも参加させていただきました」

 国内と海外のデビューを同時に果たした栄実さんは、その後も続けて多くのオペラの舞台を経験しました。
「ステージを重ねることは、練習では得られない何かを得ることができます。
それが自信にもつながります。良いタイミングで良い作品に出合い、多くの舞台を踏むことが大切だと思います」

 これまでのオペラの中でも思い出深いのは、平成17年新国立劇場でも公演した「沈黙」だとか。
「遠藤周作さんの小説の原作には登場しないオハルという娘役で出演しました。暗く重いストーリーの中で唯一救いとなるような可憐な役柄で今も心に強く残っています」

 琳太朗君を出産後、オペラ復帰第1作となるのは、平成20年年5月10日に岩田達宗さんプロデュースによる、いずみホール・オペラ「ランスへの旅」(ロッシーニ作曲)です。
「登場人物が多く、にぎやかで楽しい作品です。
私にとっては2年半ぶりのオペラですので、とても楽しみです」


 坂井時忠音楽賞の授賞式が行われたのは、3月26日。実は、この日は琳太朗君の満一歳の誕生日でした。
栄実さん一家にとって、二つの喜びが重なった記念すべき1日となりました。




◇菊本 和昭さんメトランペット奏者(京都府)
西宮市出身。
京都市立芸術大学大学院修了。
大学派遣によりフライブルク音楽大学に交換留学。
京都市交響楽団でトランペット奏者をつとめるほか、県内外において演奏活動を繰り広げています。
高い演奏技術と華麗なテクニックを有し、また、リサイタル等では、幅広いレパートリーに挑戦して、多くのファンを魅了しています。
2002年日本トランペット協会トランペットコンクールアーティスト部門一位、日本管打楽器コンクール・トランペット部門一位。
2003年日本音楽コンクール・トランペット部門一位、増沢賞、E・ナカミチ賞、聴衆賞受賞。
2006年第4回済州ブラスコンペティション・トランペット部門二位。
2007年第3回リエクサ国際トランペットコンクール3位、青山音楽賞新人賞、
第31回神戸灘ライオンズクラブ音楽賞受賞。




平成18年度

「坂井時忠音楽賞」受賞者は若きサクソフォン奏者の西本淳さんに決定

サクソフォンという楽器の可能性をどこまでも追求するアーティスト


【受賞者のプロフィール】

西本 淳さんユサクソフォン奏者(神戸市)
大阪音楽大学音楽学部器楽学科卒業。
同大学院音楽研究科管弦打研究室修士課程修了。
大学在学中よりザ・カレッジオペラハウス管弦楽団、21世紀室内オーケストラと共演するなど、活発な演奏活動をおこない首席で卒業。
同大学院進学後も旺盛な探究心を持って研鑽をかさね、自身が所属するカルテットシンクロナイズのリサイタルのほか、丹波の森国際音楽祭のシンボルアーティストとしての演奏、また国内外の演奏家との共演等で好評を博しました。

 渡仏してさらに音楽的な成長を遂げ、2003年にはノナカ・サクソフォン・コンクールでクラシック部門第1位を獲得、2004年には第8回松方ホール音楽賞選考委員奨励賞を受賞しました。

 現在はソリストとしての活動のほか、専門誌にワンポイントレッスンを連載。
 武庫川女子大学、相愛大学の講師、各種講習会の指導者として後進の指導にも情熱を注いでいます。

【選考委員講評】
安定した技巧と優れた表現力を有し、サクソフォンという楽器の可能性を広げる多方面の活動は高く評価できる。また後進の指導にも力を注ぎ、広く県民文化に貢献する活動を続けている。


【素顔拝見】

心を震わすサクソフォンの響き

1976年岡山県生まれ。
中学生のときに吹奏楽部でサクソフォンに初めて触れる。
高校在学中に、山陽学生音楽コンクール、管弦器独奏コンクールでそれぞれ第1位を獲得。
1998年大阪音楽大学音楽学部器楽科を首席で卒業。
2000年同大学院音楽研究科管弦打研究室修士課程修了。
2002年丹波の森国際音楽祭「シューベルティアーデたんば2002」で、音楽祭のシンボルアーティスト・フランツとして数多くのコンサートに出演。
国内外のアーティストとの共演やテレビ出演で好評を博す。
2003年には横浜で開催されたノナカ・サクソフォン・コンクールでクラシック部門第1位を獲得。
2004年第8回松方ホール音楽賞・選考委員奨励賞を受賞。
現在はソリストとして活躍のほか、多くの管弦楽団での客演奏者として幅広く活動中。
相愛大学音楽学部・武庫川女子大学音楽学部講師。
神戸市在住。
30歳


 端正なルックスが爽やかな西本淳さんは30歳。現代の若者らしいファッションで実年齢よりもっと若く見えます。
「大学で音楽学部の講師をしていますが、出勤簿にハンコを押しに事務室に行くと、学生は入らないでと叱られてましたよ。最近やっと大丈夫になったけど」
 さて、西本さんが初めてサクソフォンに触れたのは中学生のときでした。
「小学生のときから音楽は好きでしたね。岡山県の桃太郎少年合唱団に所属していて、ボーイソプラノでした。『ヘンゼルとグレーテル』や『カルメン』のオペラに子役で出演したこともあります。中学生になって部活で吹奏楽部に入部しました。最初はトランペットに憧れていたんですが、全然音が出ない。サクソフォンを吹いてみたら、これが最初から結構気持ちよく音が出るんです。それでこれをやろうと。難しい楽器だというのは後で思い知らされましたが…」
 サクソフォンという楽器の魅力について西本さんはこう言います。
「木管と金管楽器の中間の音色を持っているのがサクソフォンなんです。多彩な音色で、いろいろなことが表現できる楽器なんですよ」
 大阪音楽大学音楽学部器楽科に入学した西本さんは、赤松二郎教授のもとでサクソフォンの指導を受けることになりました。
「赤松先生は僕にとって、音楽の父ともいうべき方です。音楽の核となる部分を学ばせていただきました」
 同大学の大学院の管弦打研究室に進んだ西本さんは、最先端のサクソフォンの奏法を知りたいという欲求に突き動かされました。
「まったく面識のない平野公崇さんにいきなり電話をかけて、指導をお願いしたんです。平野さんは日本人サクソフォニストとして初の国際コンクール優勝者で、パリから帰国されたばかりでした」
 20代後半の平野氏と20代前半の西本さんの若い師弟のレッスンは、情熱的でパワフルなものとなり、3時間を超えることもしばしばでした。
「新しい奏法は、僕にとっては試行錯誤の連続でした。妥協を許さない平野先生のレッスンは大変厳しかったのですが、全てが新鮮で毎回新しい発見がありました。僕は先生にずっと恵まれているんです。赤松先生には、今も昔も絶対に忘れてはいけない音楽の核を教えていただき、平野先生には、それに対するアプローチの仕方を教えていただいたと思います」
 大学院修了後の西本さんにとって大きな転機となったのは丹波で開催されている「シューベルティアーデたんば音楽祭」との出会いでした。
「丹波の人たちは音楽家を実に温かく迎えてくれるんです。演奏後、良かったと声をかけて涙を流してくださる方もいて、それが演奏する側にとって本当に励みになるんです。楽屋での手作りのお弁当など食べ物もおいしくて、第二の故郷ともいうべき場所になりました。この音楽祭にかかわることができたのは、僕にとって宝物のような経験です」
 2002年のシューベルティアーデでは音楽祭の顔ともいうべきフランツとして、多くのコンサートやテレビ出演をこなし、その後もずっと同音楽祭には深い係わりを持ち続けています。
 さて西本さんは、2003年に横浜で開催されたノナカ・サクソフォン・コンクールで強敵のライバルたちを押さえ、クラシック部門第一位を獲得しました。
「これは予想外でした。今も僕で良かったのかなと不思議に思っています」



平成17年度「坂井時忠音楽賞」受賞者決定

バイタリティあふれるドラマチックな歌唱  小西潤子さん(ソプラノ歌手)と

[阪神・淡路大震災後、音楽の力で県民のこころの復興に貢献]

宮川彬良とアンサンブル・ベガ(室内楽)に




【受賞者のプロフィール】

◇小西潤子さん゚声楽家・西宮市

関西二期会オペラにおいて「ラインの黄金」のヴェルグンデでデビューし、「ワルキューレ」では難役ブリュンヒルデを歌い絶賛され、平成12年にはワーグナーの大作「パルジファル」の魔法の娘、平成17年には日韓オペラ交流事業として「タンホイザー」の女神ヴェーヌス役で出演。
その他数多くのオペラに出演し好評を得ました。
平成13年には歌劇「声」の女役で一人オペラに挑戦。
豊かな声量と演技力で、関西では貴重なドラマチックな表現力を持つソプラノ歌手として活躍しています。


昭和40年大阪市生まれ。
小学校3年生のときに、父の転勤先の福岡で九州交響楽団公演でシュスタコビッチの「森の歌」に児童合唱パートに出演したのが、声楽の道に歩むきっかけに。
その後
大阪音楽大学声楽教授の足立勝氏に見出され、同大学声楽科に進学。
平成2年同大学大学院声楽専攻歌劇研究室修了。
平成6年関西二期会オペラ「ラインの黄金」のヴェルグンデでデビュー。
平成9年の「ワルキューレ」では難役ブリュンヒルデを歌い絶賛されました。
平成12年「パルジファル」の魔法の娘、平成17年「タンホイザー」では女神ヴェーヌスを熱演。
関西二期会・
西宮音楽協会・
日本演奏家連盟各会員。
大阪音楽大学音楽博物館研究技術員。
尼崎市合唱団指導者。
神戸市混声合唱団団員。
西宮市在住。
41歳

 小西潤子さんは、初対面でもそれと感じさせない、人懐っこさを持っている人。
ちょっと早口の話し方はエネルギッシュで、面白い話題になると、はじけるような笑顔と笑い声が魅力的です。
元気パワーが全身からあふれています。
そんなパワーを小西さんは子供の頃から身に着けていたようです。
「父の転勤で何度も転校しましたが、友達もすぐにできて苦になりませんでしたね。
先生の呼びかけには、何でもハイ!と手を上げる子で、とにかく人前に出るのが大好きでした。
小学校三年生のときは福岡にいたんですが、九州交響楽団がシュスタコビッチの『森の歌』を上演するにあたって子供のコーラスメンバーを募集してたんです。歌が好きだった私は応募して舞台に立ちました。舞台で歌うことの楽しさを子供心に感じて、それが歌の道に進むきっかけといえばきっかけでしょうか」
 小さい頃からピアノは習っていたけれど、それほど音楽にのめり込むような生活ではなく、ごく一般的な学生生活を送っていた小西さんは、自分がすばらしい声帯を持っていることを全く自覚していませんでした。
「高校で音楽の先生に声楽のコンクールに出てみない?と言われても、え?私が?いやあ、そんなのいいですと断っていました。でも大学進学を考えてる頃、大阪音楽大学教授だった足立勝先生に出会い、ピアノでは合格できないけれど、声楽なら合格するんじゃないかと言われ、その気になったんです」
 神様が小西さんにプレゼントしてくれたすばらしい楽器、恵まれた声帯を生かす時がとうとう訪れました。
「足立先生には七年間指導を受けました。来日している外国人の先生を始めとして他の先生の授業をどんどん受けなさい、そして数多くの曲に当たって自分に合うレパートリーを見つけなさいという足立先生の教育方針のおかげで、大学では自由にのびのびと声楽を学ぶことができました」
 神様に祝福された声帯は学友にも羨ましがられました。
「朝でも何時でも大きな声が出て良いねぇと、よく言われました。私は声帯を守るための何か特別なことって一切していないんですよ。唐辛子も氷も平気で食べるし、普通に生活していて、細かいことは全然気にしないんですよ」


◇宮川彬良とアンサンブル・ベガ(平成10年11月設立)

阪神・淡路大震災の甚大な被害の中から「創造的復興」を掲げて、街のハード面だけにとどまらない、ソフト面である市民の心の復興のための宝塚市の取り組みの一つとして平成10年に誕生しました。
以後アコースティックサウンドに最適な環境を持つという宝塚ベガ・ホールの特性を生かした室内楽アンサンブルの演奏会をホームグラウンドである同ホールにて毎年開催しています。
宮川彬良とアンサンブル・ベガでしか聴けない一流メンバーによる質の高い演奏は、現在では、宝塚のみならず全国で演奏活動を繰り広げる人気プロジェクトに成長しました。
ある意味では地味と評される室内楽を、音楽監督に「マツケンサンバタ」のヒットも記憶に新しい宮川彬良を迎えることにより、多彩な手法のオリジナル編曲やユーモアあふれる語り口による解説など企画性の高いものとし、音楽の本来的な楽しさを幅広く普及し、県民のこころの復興にも大きく貢献してきました。



平成16年度「坂井時忠音楽賞」は

  ピアニストの藤井快哉さんに決定


    新鮮で深みのある演奏に光る実力


藤井さんは、秀でた技術と深みのある表現力で、心動かす演奏活動を続けています。

【受賞者のプロフィール】
藤井快哉さんラピアニスト(神戸市)
大阪音楽大学器楽学科ピアノ専攻卒業。
同大学大学院器楽専攻ピアノ研究室修了。
インディアナ大学パフォーマー・ディプロマコースを経て、アーティスト・ディプロマコース修了。
 ピアノを練木繁夫、青柳いづみこ、永井譲、藤田圭子、野田広の各氏に師事しました。
国内のみならず、アメリカ・ドイツの各地でソロ・伴奏・室内楽・協奏曲等の演奏会に出演しています。

 また、藤井快哉さんの特質は、ピアノ独奏のみならず器楽のアンサンブルピアニストとして現在最右翼の一人であることで、各地で高い評価を得て活躍中です。


大阪音楽大学器楽学科ピアノ専攻卒業。
同大学大学院器楽専攻ピアノ研究室修了。インディアナ大学パフォーマー・ディプロマコースを経て、アーティスト・ディプロマコース修了。
大阪音楽大学在学中より学内外の双方で、日本・アメリカ・ヨーロッパの各地でソロ・アンサンブル・室内楽・協奏曲等の演奏会に出演。
1993年第4回吹田音楽コンクール審査員奨励賞、
1996年第1回KOBE国際学生音楽コンクール最優秀賞(兵庫県知事賞)、
1998年第19回霧島国際音楽祭特別優秀演奏賞・特別奨励賞、
2001年ナショナル・ヤング・アーティスト・コンベンション(アメリカ)ピアノ部門第1位、
2002年第14回宝塚ベガ音楽コンクールピアノ部門第3位受賞。
神戸市在住。
32歳


アンサンブルは真剣勝負の演奏です


 【受賞者のプロフィール】
 物腰がソフトで優しい印象の藤井さん。フットワークも軽く、取材の日には自ら運転して駅まで迎えに来てくれました。
 さて、好青年の藤井さんがピアノを始めたきっかけは?

「姉のためにピアノの先生が家に来られていたんです。僕は5歳ぐらいかな。ピアノのまわりで、あまりに僕がバタバタするので、母があなたも習いなさいって。先生は野田広という方で、当時40歳ぐらいだったかな。バイクに乗ってこられるんですよ。この先生はとても優しい先生で、叱られた事などなかったですね。音楽は楽しくなければ意味がないという考えでした。それに甘えて僕はピアノのレッスンが始まる30分前に練習するだけでしたね」

 野田先生のおかげで、音楽が大好きになった藤井少年ですが、ピアノの練習よりは剣道や水泳に熱心だったとか。
「小学校で合唱の伴奏をして、みんなに褒められても、ただ恥ずかしかっただけでした。ピアノは女の子がするものという気がしていたんです。ところが中学校に入ると、男性の音楽の先生がピアノを弾いていて、生徒の人気者だったんですよ。男がピアノを弾いてもカッコいいんだと初めて知りました」

 高校入学後、進路を決める頃にはピアノ専攻で大学に進みたいと思い始めた藤井さんは、音大の先生の個人レッスンを受けることになりました。
「大変でした。雰囲気重視で、楽しくなければ音楽じゃないと思っていましたから、楽譜どおりに弾く訓練ができていない。『あなたは根本的な技術がついていない。音大は無理』と何人かの先生に言われました。ある先生は『あなたはきれいなハイバリトンをしているから、声楽をしたら』と。それもいいかなとも思いましたが、練習熱心ではなかったくせに、長年やってきたピアノをあきらめるのが悔しかったんですね。藤田圭子先生、永井譲先生、青柳いづみこ先生の指導を受けた頃から、階段を上るように練習量が増えていきました」
 音大を卒業し大学院受験を控えたある日、藤井さんはテレビから流れてくる音楽に心を奪われました。
 その番組は、ピアノ演奏家の練木繁夫さんとチェロの向山佳絵子さんのアンサンブル演奏でした。
「音が素晴らしい。音楽が素晴らしい。もう、これだ!っと思いました。ぼくにとってのホンモノでした。この人にピアノを教えてもらいたい!と思いました」
 練木繁夫さんがアメリカのインディアナ大学の教授であることを知った藤井さんは、進学した大学院を休学しアメリカへ飛んでいきました。
「アメリカではピアノの練木先生はもちろんのこと、名チェリストのヤーノシュ・シュタルケル氏やヴァイオリニストのフランコ・グッリ氏らの教えを受けました」
 留学は、ピアノソロだけではなく、各国から集まった優秀な学生たちの伴奏をすることで、アンサンブルの醍醐味を藤井さんに植えつけました。
「ソリストの演奏を縁の下で支えるのが伴奏などという概念を超え、ジャズのセッションのように、いろいろな人たちと共演することで、異なる音楽観に出会い、アイデアを出し合い、吸収し合う。私にとってアンサンブルは真剣勝負です。自分がこう動くと、相手がどんな反応をするのかと、本当に楽しみなんです」
 ソロ演奏に限らず、共演者とピアノの双方が生き生きと演奏する新しいアンサンブル音楽の創造に、藤井さんは今一番心惹かれているそうです。



平成15年度は


   声楽家(バリトン)の藤村匡人さんに

   ドラマチックで、なおかつ知的な表現の歌唱  


 【受賞者のプロフィール】

藤村匡人さん
声楽家(バリトン)
尼崎市

平成1年大阪音楽大学大学院修士課程音楽研究科オペラ研究室修了、
同年文化庁国内芸術家研修生に。
平成5年には「兵庫県新進芸術家海外研修員」として渡欧。
平成11年ドイツ・カールスルーエ音楽大学院リート科を修了しました。

 帰国後生まれ育った兵庫に在住し、歌曲・オペラ・コンサートなど様々な分野で活躍中です。
 現在、関西二期会会員、神戸市混声合唱団のメンバーとして県民芸術劇場などのコンサートに出演。また、多くの指揮者からの信頼が厚く、注目すべき作品にも数多く出演しています。
日本シューベルト協会会員、
大阪音楽大学演奏員。

 今後は、その幅広い活動が全国的にも国際的にも発信することが期待されています。

【受賞歴】
平成1年第26回なにわ芸術祭新人賞受賞(大阪市長・府知事併せて受賞)、
平成3年第3回J・S・G国際歌曲コンクール第三位、
平成6年第26回日本音楽コンクール声楽(歌曲)部門入選、
平成8年第4回アルフレード・クラウス国際声楽コンクール リート・オラトリオ部門(スペイン)準決勝進出。


 【受賞者のプロフィール】

日本人の心に響くリート(歌曲)を熱唱

1964年尼崎市生まれ。
大阪音楽大学音楽学部声楽科卒業。
同大学大学院音楽研究科オペラ研究室修了。
同年初リサイタル開催。
第26回なにわ芸術祭新人賞受賞。
1993年兵庫県新進芸術家海外研修員として渡欧。
ウィーン国立音楽大学リート(ドイツ歌曲)科で研修。
1994年より白井光子、ハルトムート・ヘル両教授のもと、ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院およびドイツ・カールスルーエ音楽大学でリートを学ぶ。帰国後は、リートをはじめオペラやコンサートなど、多彩な演奏活動を展開中。
関西二期会員、日本シューベルト協会員、

神戸市混声合唱団員。尼崎市在住。

 野球やサッカーが大好きで、音楽にはあまり目が向いていなかった藤村少年を目覚めさせたのは、中学二年の音楽の授業の期末テストでした。
「実技のリコーダーは指使いがややこしくて、面倒くさかったし、課題曲を聴いてペーパーテストで点数を稼いでやろうと、確かメンデルスゾーンの『バイオリン協奏曲』だったと思いますが、レコードを買いに行ったんです。そしたらB面のチャイコフスキーのバイオリン協奏曲にすっかりはまってしまって…。土臭いようなドラマチックな音楽に、心を揺り動かされました」

 それからの藤村さんは、小遣いの続く限りレコードを買いあさり、NHKのFMラジオ「クラシックアワー」を欠かさず録音して聞き、陶酔するという毎日が続きました。箸を指揮棒代わりに振り回し、一心不乱に音楽に没入する姿に家族もあきれ気味だったとか。
「その頃は指揮者に憧れていました。でも歌おうとは思っていなかったんです。しかし、中三のとき、これまた音楽のテストがあって、みんなの前で『帰れソレントへ』を歌ったら、自分でもびっくりするほど声が出たんですよ。高校に入ってからは合唱部顧問の土井政子先生に声を見込まれ、毎年文化祭で独唱するようになりました」
 藤村さんが属した加古川東高校の合唱部には、かつてシャンソンの菅原洋一やテノール歌手の松本幸三さんも在籍した名門合唱部。藤村さんの天性のすばらしい声帯を見出した土井先生は、高校一年三学期の進路相談の席で突然「指揮者になりたい」と言って担任と母親を仰天させた藤村少年に即座にこうおっしゃったとか。「歌をやればいいじゃない!」
 先生の言葉を聞いた藤村少年は、「指揮者が無理だったら、歌も好きだし、いいか」とすぐさま進路変更を決心。二年後の音大の声楽科受験を目指し、声楽・ピアノ・聴音・楽典の猛特訓が始まりました。
「土井先生に毎日のように指導してもらいましたが、ピアノには指が動かず苦労しました」
 必死の努力の甲斐があって、大阪音楽大学音楽学部声楽科に合格。入学後は、バリトンの美声をすぐに認められ、声楽は常にトップの成績、オペラの主役にも抜擢されました。

 その後同大学院音楽研究科オペラ研究室に進学。「大学院では横田浩和教授のもと、音楽を表現する上での『自由』の大切さを学びました」
 一九八九年「シューマン歌曲の夕べ」と題した初リサイタルを開催し楽壇にデビューしました。
 一九九三年兵庫県新進芸術家海外研修員として藤村さんはウィーン国立音楽大学リート科に留学しました。
 リートとは、シューベルト、シューマン、ブラームス、 シュトラウスなどの作品で知られる歌曲のことです。
「リートは一曲が三分程度なのですが、短い詩のなかに深い世界があります。一曲一曲に込められた多彩な世界を、自分というフィルターを通して思いを伝える。日本の侘び、さびにも通じる哲学的な世界が魅力なんです」
 一九九四年からは、ドイツ人よりも深くドイツリートの魅力を余すことなく歌いこなす歌手といわれる白井光子教授(メゾソプラノ)とハルトムート・ヘル教授(ピアノ)の指導を受け七年間に渡ってドイツ・オーストリアでリートを学びました。
 この留学時代に、藤村さんはのちに妻となり、ピアノ伴奏者となる長谷智子さんとめぐりあいました。
「音楽はもちろんそうですが、ものの考え方や見方、価値観が似ていたんですね」
 帰国後、二人は結婚。公私にわたる最良のパートナーとなりました。

「リートは独特の世界で、一度聞くと病みつきになる人も多いですよ。俳句の世界にも通じるリートは日本人の好みに合うはず。
今後はリートファンを確実に増やしていくのが、私たち二人の課題だと思っています」



平成14年度は、

 ヴァイオリン奏者の島原早恵さんに

日本人初のドレスデン歌劇場管弦楽団の第一ヴァイオリン奏者に決定


 【受賞者のプロフィール】

 おっとりとしていてしかもさわやか、いかにも育ちの良いお嬢さんといった印象の島原早恵さんですが、小さい頃は、結構お茶目な性格だったそうです。
「四歳のときに、宝塚歌劇に連れて行ってもらったんです。もう感激して、家に帰ってきたら青いビニールのゴミ袋でドレスを作って、歌い踊り狂いました」

 幼い早恵さんにとって音楽は、文字通り音を楽しむこと、体全体で音楽に触れる喜びを表現することでした。しかし、ヴァイオリンを習ういきさつは、早恵さんがただのお茶目さんではないことを物語っています。
「ヴァイオリンのレッスンを見学に行くと、とても厳しい先生で、生徒がビビッているんです。『わっ、すごいな。よし、やるぞ』って、すぐ決心しました。自分がしたいと思って始めたので、レッスンが嫌だったことは一度もなかったですね」
 もともと音感に優れたものを持っていた早恵さんは、暗譜が得意で譜面をすぐ覚えてしまいました。練習はさほど熱心ではなかったのに、本番に強く、発表会の舞台でもあがることもなく情感をこめた演奏をして、本人も大いに楽しんだとか。
 大阪の相愛音楽教室や兵庫県立西宮高校音楽科と順調に才能を伸ばしていった早恵さんは、高校二年の夏に、人生を左右する衝撃的な出来事に遭遇します。

「アメリカのコロラド州で行われるアスペン音楽祭に3か月参加しました。もうレベルの高さに圧倒されました。今までは楽しく音楽をしてきたけれど、何か満たされず方向も見えていなかった。アスペンで受けた衝撃は大きく、音楽への曖昧な憧れではなく見通せる目標を持つことができた思いがしました」
 その後夏休みごとに海外研修を重ね、ヴァイオリニストを育てることでは定評のある桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコースへ進学。卒業後はソロ演奏やN響での演奏活動をしていた早恵さんは二十七歳でスイスの音楽祭に参加。そこでミュンヘン音楽大学のチュマチェンコ教授とめぐり合いました。
「アスペン以来のショックでした。私は彼女が世界で指折りの名教授であることも、めったなことでは生徒を取らない人であることも知らず、教授のもとで勉強したいと申し出たんです」
 チュマチェンコ教授は早恵さんをミュンヘン大学大学院へ受け入れ、ここで早恵さんはヨーロッパの伝統音楽の真髄を学びました。

「2年間の留学は、毎日が大変充実していました。そんなときバイエルン放送交響楽団の演奏を聞いて、地鳴りのような底からわきあがる巨大な芸術に感動したんです。オーケストラに入って、もっといろいろな演奏をしてみたいと思い、ドイツ中のオーケストラのオーディションを受けようと、一気に35通も申し込みのレターを送りました。そうすると、一番最初に受けに行ったドレスデン歌劇場管弦楽団に合格してしまって。そこが450年の歴史を持つ超一流の管弦楽団であることは、後で知りました」

 驚いたことに合格後に初めてドレスデン歌劇場管弦楽団の演奏を客席で聞いたという早恵さんは、同管弦楽団の魅力を熱っぽく語ってくれました。
「音がすばらしい。温かく深みがあって、ズーンと心に響くのです。保守的な団員が多いのかと思っていたのですが『新しい風を期待していますよ』と言われ、感動しました」

 外国での活動が多くなるほど、童謡など日本の音楽も大切にしていきたいと語る早恵さん。
 ベルベットのタッチと評されるヴァイオリンの音色を「のじぎくサロンコンサート」で聴ける日が待ち遠しいですね。

昭和48年西宮市生まれ。4歳でヴァイオリンを習い始め、小学生のときに将来ヴァイオリニストになることを決意。相愛子供音楽教室、兵庫県立西宮高校音楽科で力をつけ、平成8年に桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコースを卒業。
卒業後約4年間はフリーの演奏家として活躍。

平成12年からドイツミュンヘン国立大学大学院マイスターコースに留学し、同14年に同大学院を終了。
ドイツ国家演奏家資格を取得しました。
 このたび名門ドレスデン歌劇場管弦楽団の入団試験に合格。
日本人初の第一ヴァイオリニストに採用され、今後の活躍が期待されています。
ドイツ・ドレスデン在住。29歳

 今回の選考では、スケールの大きな演奏と、島原さんならではの音楽性で独自の世界を築きつつある将来性に期待が集まり、受賞が決定しました。
なお、ヴァイオリン奏者の「坂井時忠音楽賞」受賞は今回が初めてです。



平成13年度はクラリネット奏者の

上田希さんが受賞

 【選考会講評】
 古典の名作を十分演奏できる能力・資質・感性を備えているのはもちろんのこと、従来のクラシック音楽演奏を超える表現力を発揮した現代音楽の演奏は、非凡な才能を感じさせ、将来が大いに期待される新進気鋭の本格派クラリネット奏者です。


 【受賞者のプロフィール】

上田希さん
モ姫路市・
クラリネット奏者

大阪音楽大学音楽部器楽科卒業。
アメリカ・ジュリアード音楽院修士課程終了。
平成11年第68回日本音楽コンクールクラリネット部門第1位。
平成12年佐渡裕指揮大阪フィルハーモニー交響楽団と共演。
平成13年第2回カール・ニールセン国際クラリネットコンクールディプロマ賞受賞。

テクニックを求めて渡米学んだものは音楽の心

 平成7年に大阪音楽大学音楽学部器楽科卒業後、ニューヨークのジュリアード音楽院修士課程に留学した上田さんは、カリスト木管五重奏団でマンハッタンを中心に活動。ソリストとして平成9年と10年にニューヨークでリサイタルを開催。これまでに岩城宏之、延原武春、佐渡裕ら指揮によるオーケストラと共演。

 平成11年には第六十八回日本音楽コンクールクラリネット部門で第一位に輝きました。その後全国各地の演奏会やNHK・FMに出演、活躍の場を広げています。本年度「坂井時忠音楽賞」受賞者。姫路市在住。28歳

 上田さんと音楽の出会いは、娘にピアノを習わせたいという、ごく普通の母心から生まれたものでした。
「幼稚園から帰ったら、突然家にピアノがあったんですよ。何の話も聞いてなかったのに母が買っていたんですね。それで近所の先生に習うことになったんです」
 もともと歌が大好きだった少女は、みんなが誉めてくれることがうれしく熱心にピアノの練習をするようになり、ますます音楽が好きになりました。
 
 「小学六年生になったあるとき、姫路工業高校のブラスバンドが小学校に来て演奏会をしてくれたんです。ほとんど男の子ばかりのバンドの中で、一人の女の子がクラリネットのトップで吹いていて、それを見てカッコイイなぁ!と思って。私も中学校へ入ったらブラスバンドでクラリネットをしようってその時決心したんです」
 中学、高校とブラスバンド部活動をするかたわら、クラリネットの個人レッスンを続けた上田さんは姫路東高校卒業後、大阪音楽大学音楽学部器楽科に入学しました。

 大学では、クラリネットの魅力に一層惹かれていった上田さんでしたが、ジレンマもありました。「ヨーロッパの先生方は生まれたときから聞いてきた音楽をそのとおりに受け継ぎ次へ伝えなければという思いがありますから、この曲は当然こういう風に吹くんだよと教えてくれるのですが、日本人の私にはどうすれば良いのか理解できない。新しい曲のたびに先生に丸ごと聞かないといけないことになるし、それでは自分で音楽をクリエイトできないことになる。それでいいのだろうかと考え始めたんですよ。でも勉強を続けるなら留学すべきだとも思っていたんです」
 そんな上田さんを救ったのは、二人ともアメリカのジュリアード音楽院で教鞭を執っているクラリネット奏者の大島文子、チャールズ・ナイディック夫妻との出会いでした。
「そのときの私は自分のやりたい音楽がクラリネットを通して出せないというジレンマを感じていたんですよね。例えば他の先生はここは柔らかく吹きなさいと言うけれど、どうすれば柔らかくなるかを教えてくれない。でも彼らはこういうトレーニングをすればできるって教えてくれたんです。あいまいじゃない。これだ! もしかしたら私にもできるかもしれないと思いました」

 大阪音大卒業後、平成8年、上田さんはジュリアード音楽院修士課程に入学を果たしました。
「ジュリアードでは、みんなが絶対プロになろうと思っていて、しかも互いに尊重しあっているんですね。自分たちが出演する演奏会が月に二、3回もあるし、学生だけれど本番ではプロだという意識で演奏しているんです。私にとっては刺激が多かったですね。私はクラリネットのテクニックを習いに留学したのですが、結局学んだのは音楽の心だったんですね」

 上田さんが暮らしたマンションは共同バスルームに共同ダイニングで食事をとる女性専用のところ。様々な国から、様々な職種の女性が暮らしていました。生きた英語とタフな生き方を学んだ場所でした。

 帰国後、上田さんは平成11年に第68回日本音楽コンクールクラリネット部門第一位を受賞。
その後は県内、京阪神を中心に全国各地の演奏会に出演。このほど平成13年度「坂井時忠音楽賞」を受賞しました。

 「私はクラリネットに執着しているわけではありません。
 クラリネットは、自分の中にある理想の音楽を表現するための手段として、たまたまめぐりあった楽器。

 将来のことはわからないから、ひょっとしたら指揮者になっているかもしれませんよ」




平成12年度は新進気鋭のチェロ奏者、

林裕さんが受賞


 【受賞者のプロフィール】
 林裕さん
 西宮市
・チェロ奏者

東京芸術大学卒業。
ドイツ国立フライブルク音楽大学大学院修了。
現在神戸女学院大学講師。
平成四年日本演奏連盟賞、
平成五年読売新人音楽賞、
同年第六十二回日本音楽コンクール第一位、
平成十二年青山音楽賞、
同年ブルーメール賞、
平成十三年第四回松方ホール音楽賞大賞など数々の賞を受賞。

また、ナゴヤシティ管弦楽団、トランシルヴァニア室内管弦楽団との共演をはじめ、平成十二年の「バッハ六つの無伴奏チェロ組曲全曲演奏会」など、各地において意欲的な活動を展開しています。

 チェロという地味な楽器のため演奏する機会が少ないなか、管弦楽団との共演やソロ活動などを県内外で積極的に開催し、その演奏活動は目を見張るものがあります。
 確かな実力が高い評価を受け、兵庫県から全国へ、また世界への飛躍が大いに期待される新進気鋭のチェリストです。
 

チェリスト[素顔拝見]
心にしみわたる豊かな音色チェロは肉声に近い楽器

 父親がチェリスト、母親がピアニストという恵まれた音楽環境の中でのびのびと育った林さんは東京芸術大学卒業後、大阪フィルハーモニーで首席チェリストとして活躍。ドイツ国立フライブルグ音楽大学大学院に留学後は、チェロ演奏にしなやかな力強さが加わりました。
奥様は大阪フィル時代の仲間のヴァイオリニストの横山恵理さん。

平成5年、読売新人音楽賞・
第62回日本音楽コンクール第1位、
平成12年、青山音楽賞・ブルーメール賞、
平成13年、第4回松方ホール音楽賞受賞。
現在神戸女学院大学講師。
西宮市在住。

 新緑がまぶしい西宮苦楽園の坂の中腹。若い音楽家夫妻の住む家は、音楽、特にチェロに因んだインテリア小物の数々が何ともいい雰囲気を出している素敵な空間でした。
「チェロの曲線を描いた傘立て、チェロの組み木のレリーフ、時計、はんこ入れ・。もらったり買ったり結構集まりましたね」
 林裕さんは岐阜生まれの名古屋育ち。両親がともにプロの演奏家で父がチェリスト、母がピアニストという音楽一家のなかで成長しました。

「三歳の頃から小さなチェロを持たされていたそうですが、親子で楽しく遊びながら教えてもらっていたという感じでした。中学のときはバスケットに夢中でしたし、もの作りが大好きで美術方面に進もうかとも考えていました。小学生五年の頃から名古屋青少年交響楽団に入ってはいましたが、とりたてて音楽が好きというわけでもなかったですね。大きな転機になったのは中学三年のとき、チェロ演奏の第一人者ムスティスラフ・ロストロポーヴィチのドボルザーク『チェロ協奏曲』を聞いたことですね。もう手遅れかなと思いながら、やはり音楽の道に進もうと思ったんです」

 現在も尊敬してやまないムスティスラフ・ロストロポーヴィチ氏のチェロの魅力を林さんは熱っぽく語ります。
「音の張りと広がりですね。振動数には限界があると思うのですが、よくここまで鳴らすことができるなあというのが一番尊敬するところですね。チェロというのは他の楽器をやっている人がうらやむほど、肉声に近い楽器なんです。音色や音量の変化も多彩で、振動が心地良い周波数なんですね。日本ではあまりメジャーではないかもしれませんが、ヨーロッパでは心にしみわたる音色に人気が高いのですよ」

 名古屋菊里高校音楽科、東京芸術大学卒業後、林さんは大阪フィルハーモニーに所属、平成五年から七年まで首席チェリストとして活躍しました。その後ドイツフライブルグ音楽大学大学院に留学、首席で修了しました。
「ドイツの扉って重いんですよ。冷蔵庫もトイレも何でも頑丈で自分の体が引っ張られてしまうほど。そこで力まずに力を出すことが必要なんです。それはチェロ演奏にも大事なことで、腕の重みを利用するわけです。一生弾き続けることができる弾き方をドイツで学びました」

 帰国後は神戸女学院大学講師として後進の指導を行うかたわら、活発な演奏活動を再開。青山音楽賞・ブルーメール賞・松方ホール音楽賞大賞、そして坂井時忠音楽賞と受賞が続きました。

 さて、林裕さんの意外な一面はかつて美術を目指したほどの工作好きであること。
チェロを支える道具を作り実用新案を取得している実力の持ち主です。
自宅には大作のウォークインクローゼットまであります。上の写真はムスティスラフ・ロストロポーヴィチを切り絵にしたもの。
敬愛する人物への林さんの少年のような純粋な思いが伝わります。

受賞年 受賞者 演奏パート
平成 3年度 上塚 憲一
竹本 節子
チェロ奏者
声楽家/メゾソプラノ
平成 4年度 安保 淑子 声楽家/ソプラノ
平成 5年度 畑  儀文 声楽家/テノール
平成 6年度 田中 修二 ピアニスト
平成 7年度 芦原 昌子 声楽家/ソプラノ
平成 8年度 大江 浩志 フルート奏者
平成 9年度 西脇小学校 オーケストラ
平成10年度 金子 浩三 ピアニスト
平成11年度 吉田 早夜華 声楽家/ソプラノ
平成12年度 林   裕 チェロ奏者
平成13年度 上田  希 クラリネット奏者
平成14年度 島原 早恵 ヴァイオリン奏者
平成15年度 藤村 匡人 声楽/バリトン
平成16年度 藤井 快哉 ピアニスト
平成17年度 小西 潤子
宮川彬良と
アンサンブル・ベガ
声楽/ソプラノ
室内楽
平成18年度 西本 淳 サクソフォン奏者
平成19年度 石橋栄実       ソプラノ歌手     
平成20年度 南部靖佳       フルート奏者     
平成 21年度 木村 優一
高石 香
和太鼓奏者
ピアノ奏者
平成 22年度 岡田 將(まさる)さん ピアノ奏者




up date 2010/5/29

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